SSブログ

韓国人の残虐行為の歴史 [睡夢庵 日々徒然]

【韓国人の残虐行為の歴史】

《韓国国内での虐殺事件》

1949年12月24日 聞慶虐殺事件

大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で韓国軍が共匪に協力したなどとして非武装の住民88人を虐殺し、共匪の犯行としていた事件です。
これに関しては2008年7月10日、事件の遺族は、韓国政府が共産匪賊による虐殺であるとして真実を隠蔽し、真相究明を求めた遺族を反国家行為者として逮捕するなど、事実上の損害賠償請求権行使を妨害してきたので時効は適用されないなどとして国家賠償を求める訴訟を起こしています。 これに対し、やっと2011年9月8日、最高裁判所は真実を隠してきた韓国政府が、訴えを起すことが出来なかった原告を非難しながら時効の完成を理由として賠償に応じないことは不当であるとして、原判決を破棄してソウル高等裁判所に差し戻し、やっと国家犯罪が認められようとしている段階です。

1950年06月27日 保導連盟事件

朝鮮戦争勃発後、李承晩大統領の命令により韓国国軍・警察が行った自国民に対する大量虐殺事件。 南朝鮮労働党、共産主義からの転向者やその家族、収監中の政治犯や民間人を対象に行われ、その被害者は少なくとも20万人以上、最大120万人に上ると言われます。 これにより、李承晩及びその政権と対立していた政治家や知識人の多くが殺害され、その結果朝鮮戦争終了後の大韓民国再建に大きな支障を来たしただけでなく、教育現場等が人材の払底から荒廃したのが現在に大きく影響しているとされます。

また、南北朝鮮双方から虐殺を逃れようとした人々が日本へ避難若しくは密航し、そのまま在日となった人も多いのです。

《ベトナムでの虐殺事件》

1966年02月   タイビン村虐殺事件
1968年02月12日 フォンニィ・フォンニャットの虐殺
1968年02月12日 ハミの虐殺

韓国兵は残忍なやり方で女性を強姦してから殺害した上でその死体をも汚すケースも多く、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だったと語られています。 また妊婦や子供は井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ事も確認されています。

以上はベトナムで韓国兵が行った蛮行の氷山の一角に過ぎません。 ベトナムでの韓国軍兵士による虐殺、殺人、強姦致死等による被害は少なく見積もっても9000人を超えるとさえ言われ、若しくは30万人を超えるとも言われているのです。

韓国政府は、未だにベトナムでの虐殺や強姦など、自国の過去の蛮行を公式に認めようとしていません。 韓国兵の行為には韓国のメディアも人権活動家も全く目を向けて来ていません。

これは、韓国人のベトナム人に対する人種差別意識が原因であり、「見下す者にはどんな残虐な行為でも躊躇無く行う」朝鮮人の古き悪しき両班気質と言えます。 そして、自分の為したどんな悪行も声を大にし団結して否定し恥じない処も同様です。

当時の在ベトナム韓国軍指揮官であった蔡命新将軍は2000年、数々の事件について、我々は誰にも償いをする必要はないと述べています。 又、2013年8月、クォン・キヒョン大韓民国国防部スポークスマンはグローバル・ポストに対して、「韓国軍が組織的に民間人虐殺を行うことは不可能」「ベトナム女性への性的搾取はない」と、ベトナム戦争当時の韓国軍によるベトナム人虐殺・女性凌辱を否定しています。

これだけ検証され国際的にも明らかとなった犯罪行為についても、自身の非を認める事が出来ないのが朝鮮民族の国民性(素養)なのです。

米軍も1968年3月16日ソンミ村虐殺事件を起こしています。

これも当初は米軍内では隠蔽されていましたが、1969年12月にフリーランスジャーナリストのシーモア・ハーシュが『ザ・ニューヨーカー』で真相を報じた結果、1970年虐殺に関与したとされる14人が軍事法廷で起訴され、最終的には1名に終身刑が下されます。 只、10年後には減刑、その3年後には仮釈放されます。 この処置には国際的な非難は上がるものの、米国は一応罪を認め贖罪を果たしています。
又、本人も41年経った2009年8月19日始めて謝罪の言葉を口にしています。

ここに朝鮮人の国民性と「世界の常識」との決定的な差があります。 朝鮮人自身がこれに気付かない限り、朝鮮民族が世界で認められる事はないでしょう。

タグ:虐殺 韓国人

共通テーマ:日記・雑感