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BGM: アマリア・ロドリゲス / BOBINO 1960 [睡夢庵のBGM]

【BGM: アマリア・ロドリゲス / BOBINO 1960 】

今日は“ファドの女王 アマリア・ロドリゲス”のライブ盤《BOBINO 1960》。
彼女のその音節を複数の高さで長く伸ばし、ビブラートをかける歌唱は、ポルトガル語のサウダーデ(Saudade=ポルトガル/ガリシア語の語彙で“郷愁・憧憬・思慕・切なさ”といった意味を持つ言葉)をよく表現すると言われ、聴く人の心に染み入ります。

『アマリア・ロドリゲス』(Amalia Rodrigues, 1920/07/23-1999/10/06没)、ポルトガル・リスボン・アルファマ生まれの歌手・女優。 ファドの女王として知られる。 子沢山の家庭ゆえの貧しさから10歳でタンゴ・ダンサーを目指す。 19歳の時姉妹と共にリスボンのナイトクラブ「Retiro da Severa」に出演、好評を以って迎えられ、1年を経ずしてスターの座に立つ。 出演したクラブの席は毎夜ソルドアウトが続いた。 1944年ブラジルへ旅し、リオ・デ・ジャネイロで最初のレコーディングを行う。 ロドリゲスは単にファドを一般に紹介しただけでなく、南アメリカの音楽の普及にも一役買った。 クラブ出演の減少を恐れた彼女のマネージャーは1951年迄ポルトガル国内での録音をさせなかった。 第二次世界大戦が起きると南アメリカのツアーに出る。 1956年にはパリ・オランピア劇場でのライブ・レコーディング《Coimbra》で世界的な大ヒットを記録する。 彼女は170枚以上のアルバムをレコーディングしており、その中の曲が映画に多く使用されている。 70歳迄精力的にツアーをこなし、その後音楽界から身を引いた。 最後にメディアに露出したのは1999年10月6日リスボン1998年EXPOのオープニング・セレモニーだった。
彼女、そしてファド自体も一時氷河期を味わう。 1974年アントニオ・サラザールからマルセロ・カエターノに至る独裁政権が崩壊すると、その下で国民的歌謡として庇護されていた「ファド」から国民の心は離れ、国民的カリスマとして崇められていた彼女も批判を浴びる事になる。 1990年代に入り、EU参加の動きの中で自国文化の見直しの機運が醸成され「ファド」も再評価される事になり、ロドリゲスの後を継ぐファド歌手も現れ始める。 1999年彼女の死去に際しては、ポルトガル全土が3日間に渡り喪に服した程国民に愛された歌手である。 その遺骸は2001年リスボンのサンタ・エングラシア教会に移され、ヴァスコダ・ガマ等と共に10人の国民的英雄の一人として眠っている。
  amaliarodrigues_bobino1960.jpg
発売日: LP:1960/CD:2001/07/16
EMI France
LP-No.: 310B-026
CD-No.: 7243 5 32297 2 6
BOBINO 1960

収録曲:
01 Lua_Luar
02 Calunga
03 Quem o fado calunia
04 Fado Gingao
05 Fado da Madragoa
06 Ole mi Morena
07 Barco Negro
08 Guitarra Triste
09 Uma Casa Portuguesa
10 Lerele
11 Aie mourrir pour toi
12 Coimbra
13 Trepa no Coqueiro
14 Lisboa Antiga
15 Don Triqui Traque

この辺りの1枚は持っておきたい歌手は偶然見つけた時に手を出しているだけ。
国内盤も出ている様なので購入可能なものがあるでしょう。
以下の3枚が1993/09/17来日記念盤として出されている様です。
ポルトガルの至宝/アマリア・ロドリゲスの軌跡 TOCP-7961/4 BOX物
ファドとの半世紀              TOCP-7965
オランピア劇場のアマリア・ロドリゲス    TOCP-7966
その他では
アート・オブ・アマリア・ロドリゲス     TOCP-50679 1998/09/23
がお薦めでしょうか。


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