BGM: the world of CHARLES BRONSON & STEVE McQUEEN [睡夢庵のBGM]
【BGM: the world of CHARLES BRONSON & STEVE McQUEEN 】
今日はチャールズ・ブロンソンとスティーブ・マックイーンの出演映画テーマ音楽《the world of CHARLES BRONSON & STEVE McQUEEN》。
チャールズ・ブロンソン(1921/11/03-2003/08/30没)、リトアニア移民家庭に15人兄弟の5男として、ペンシルバニア州エーレンフェルドに生まれる。 本名:チャールズ・デニス・ブチンスキー。
炭坑夫であった父親がブロンソン10歳の時に死去、以後兄と共に炭坑夫として働く。 1943年徴兵され、アメリカ陸軍航空隊に入隊する。 第二次世界大戦終了後1946年除隊、美術学校に入学、舞台の裏方やエキストラを経験、芝居にみざめる。 1948年ニューヨークへ出て縁起を学ぶが生活が苦しく、レンガ職人、ウエイターをしながら舞台の端役として出演をするようになる。 1951年映画「赤い空」でスクリーン・デビュー。 1958年の「マシンガン・ケリー」で主役に抜擢され、「荒野の七人」、「大脱走」での男臭い風貌と巧みな演技で人気を得、その後の「さらば友よ」「雨の訪問者」等で国際的映画スターの仲間入りをはたす。 日本では1970年から放映された丹頂の男性用化粧品マンダムのテレビCMのヒットでその名前が子供から大人まで広く知られることになる。
スティーブ・マックイーン(1930/03/24-1980/11/07没)、本名:Terrence Steven McQueen。 インディアナ州インディアナポリス近郊のビーチグローブ出身。 両親の離婚などで家庭的に恵まれず14歳でカリフォルニア州立少年院に入れられる。 1年半後に出所し、17歳で海兵隊に入隊、除隊後はバーテンダーやタクシー・ドライバー、用心棒などで生計を立てていた。 1951年ガールフレンドの勧めで俳優の道に入り、アクターズ・スタジオを経てブロードウェイでデビューする。 1956年「傷だらけの栄光」で映画デビュー。 1958年に出演したテレビドラマ「拳銃無宿」のヒットで一躍スターとなる。 その後「荒野の七人」、「大脱走」、「華麗なる賭け」、「ブリット」等に出演、スタントマンに頼らないアクションをこなせるスターとして世界の映画ファンを熱狂させた。
1979年「トム・ホーン」の撮影中、アスベストを原因とする中皮腫を発症していることが見つかり、翌年「ハンター」に主演するもその年に没する。 原因は海兵隊で乗船した軍艦や趣味のレースで使われていたアスベスト製の内装、耐火服、フェイスマスクから吸引したアスベストが誘因と言われている。
《映画について》
今日はチャールズ・ブロンソンとスティーブ・マックイーンの出演映画テーマ音楽《the world of CHARLES BRONSON & STEVE McQUEEN》。
チャールズ・ブロンソン(1921/11/03-2003/08/30没)、リトアニア移民家庭に15人兄弟の5男として、ペンシルバニア州エーレンフェルドに生まれる。 本名:チャールズ・デニス・ブチンスキー。
炭坑夫であった父親がブロンソン10歳の時に死去、以後兄と共に炭坑夫として働く。 1943年徴兵され、アメリカ陸軍航空隊に入隊する。 第二次世界大戦終了後1946年除隊、美術学校に入学、舞台の裏方やエキストラを経験、芝居にみざめる。 1948年ニューヨークへ出て縁起を学ぶが生活が苦しく、レンガ職人、ウエイターをしながら舞台の端役として出演をするようになる。 1951年映画「赤い空」でスクリーン・デビュー。 1958年の「マシンガン・ケリー」で主役に抜擢され、「荒野の七人」、「大脱走」での男臭い風貌と巧みな演技で人気を得、その後の「さらば友よ」「雨の訪問者」等で国際的映画スターの仲間入りをはたす。 日本では1970年から放映された丹頂の男性用化粧品マンダムのテレビCMのヒットでその名前が子供から大人まで広く知られることになる。
スティーブ・マックイーン(1930/03/24-1980/11/07没)、本名:Terrence Steven McQueen。 インディアナ州インディアナポリス近郊のビーチグローブ出身。 両親の離婚などで家庭的に恵まれず14歳でカリフォルニア州立少年院に入れられる。 1年半後に出所し、17歳で海兵隊に入隊、除隊後はバーテンダーやタクシー・ドライバー、用心棒などで生計を立てていた。 1951年ガールフレンドの勧めで俳優の道に入り、アクターズ・スタジオを経てブロードウェイでデビューする。 1956年「傷だらけの栄光」で映画デビュー。 1958年に出演したテレビドラマ「拳銃無宿」のヒットで一躍スターとなる。 その後「荒野の七人」、「大脱走」、「華麗なる賭け」、「ブリット」等に出演、スタントマンに頼らないアクションをこなせるスターとして世界の映画ファンを熱狂させた。
1979年「トム・ホーン」の撮影中、アスベストを原因とする中皮腫を発症していることが見つかり、翌年「ハンター」に主演するもその年に没する。 原因は海兵隊で乗船した軍艦や趣味のレースで使われていたアスベスト製の内装、耐火服、フェイスマスクから吸引したアスベストが誘因と言われている。
発売日: 1972年 ユナイト/キングレコード LP-No. GP-301 | |
the world of CHARLES BRONSON & STEVE McQUEEN - GP-301 Side 1 - 01. バラキ/THEME from VALACHI PAPERS (ルネ・クレール・オーケストラ) 02. 雨の訪問者/LE PASSAGER DE LA PLUE (フランシス・レイ・オーケストラ) 03. チャトズ・ランド/CHATO'S LAND (オリジナル・サウンドトラック) 04. 夜の訪問者/VALSE AEROPORT (ルネ・クレール・オーケストラ) 05. 狼の挽歌/THEME from VIOLENT CITY (ルネ・クレール・オーケストラ) 06. ウエスタン/ONCE UPON A TIME IN THE WEST (ルロイ・ホームズ・オーケストラ) 07. いそしぎ/THE SHADOW OF YOUR SMILE (アル・カイオラ・オーケストラ) - GP-301 Side 1 - 01. 風のささやき/WINDMILLS OF YOUR MIND 「華麗なる賭け」オリジナル・サウンドトラック 02. 荒野の七人/THE MAGNIFICENT SEVEN (オリジナル・サウンドトラック) 03. 大脱走マーチ/THE GREAT ESCAPE (オリジナル・サウンドトラック) 04. シンシナティ・キッド/CINCINNATI KID (ケニー・ウィルソン・オーケストラ) 05. 華麗なる週末/THEME from THE REIVERS (ケニー・ウィルソン・オーケストラ) 06. 栄光のル・マン/LE MANS (ルネ・クレール・オーケストラ) 07. 二度目の恋/TODAY I STARTED LOVING YOU AGAIN 「ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦」より (ボビー・ルイス) |
《映画について》
邦題/原題 | 公開年 | 製作国 | 配給元 |
バラキ/Valachi | 1972年 | イタリア | ヘラルド |
雨の訪問者/La Passager de la Pluie | 1970年 | フランス | ヘラルド |
チャトズ・ランド/Chato's Land | 1972年 | アメリカ | ユナイト |
夜の訪問者/Cold Sweat | 1970年 | フランス | 東和 |
狼の挽歌/Voilet City Citta Violenta | 1970年 | イタリア | ヘラルド |
ウエスタン/Once Upon a Time in the West | 1969年 | イタリア | パラマウント |
いそしぎ/The Sandpiper | 1965年 | アメリカ | MGM |
華麗なる賭け/the THOMAS CROWN affair | 1968年 | アメリカ | |
荒野の七人/THE MAGNIFICENT SEVEN | 1960年 | アメリカ | シネカノン |
大脱走マーチ/THE GREAT ESCAPE | 1963年 | アメリカ | シネカノン |
シンシナティ・キッド/CINCINNATI KID | 1965年 | アメリカ | MGM |
華麗なる週末/The Reivers | 1969年 | アメリカ | 東和 |
栄光のルマン/LE MANS | 1971年 | アメリカ | 東和 |
二度目の恋/Junior Bonner | 1972年 | アメリカ | フォックス |