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BGM: スタインバーグ / ヒンデミット 交響曲 《画家マチス》 [睡夢庵のBGM]

【BGM: スタインバーグ / ヒンデミット 交響曲 《画家マチス》】

今日は久しぶりにヒンデミットの《画家マチス》と《弦と金管のための演奏会用音楽 作品50》のカップリング。
これはスタインバーグの来日を記念して発売されたもの。
また、1934年に書かれたこのヒンデミットの交響曲 《画家マチス》はその初演を巡ってナチスの宣伝相であったゲッペルスとの間で行われた論争でも有名です。 ここで取り上げられている「マチス」はフランス・フォーヴィズムの祖「アンリ・マチス」の事ではなく、15世紀ドイツ・ルネサンス期の画家「マティアス・グリューネヴァルト」の事です。 この曲自体は当時の農民戦争の渦中での彼の行為の中に芸術家として如何に激動期の中で対処するかという命題を求めたものであり、これが原因となってナチスより迫害を受けることになっていきます。

時代背景を知ると尚、いずれの曲も陰鬱で不安感で満ちた曲に感じてしまいますね。

『パウル・ヒンデミット』(Paul Hindemith, 1895/11/16-1963/12/28没)、ドイツ・ハーナウ出身の作曲家・指揮者・ヴィオラ奏者。 11歳の時に音楽家になる決意をし、フランクフルトのホッホ音楽院でヴァイオリンを学ぶ傍ら、作曲も学ぶ。 20歳の時にはフランクフルト・ムゼウム管弦楽団のコンマスを務める。 第一次世界大戦に従軍、除隊後ヴィオラ奏者として活動、1920年に結成したアマール弦楽四重奏団では8年間に渡り活動する。 1922年に発表した《弦楽四重奏曲 ヘ短調 作品10》や最初のオペラ《聖女スザンナ》などで注目を浴びる。 1934年には代表作のオペラ《画家マチス》を作曲するが、当時台頭していたナチスの意に沿わぬものであったため弾圧を受ける。 1935年にはトルコ政府からの依頼でアンカラ音楽院の開設に尽力した。 1938年スイスへ亡命、1940年にはアメリカに亡命し、市民権を得てエール大学の教授に就任する。 第二次世界大戦終了後スイスに戻る。 かれは非常に多作な作曲家であり、600曲以上を残しており、オーケストラを構成する楽器のほぼすべての独奏曲を作曲しており、メインではない楽器の独奏者にとっては有難い作曲家になっている。 作風は初期は後期ロマン派の影響が強いが、1920年代から新即物主義、新古典主義へ移行するが、その反面アマチュアでも演奏が容易な「実用音楽」を提唱した。

『ウィリアム・スタインバーグ』(William Steinberg, 1899/08/01-1978/05/16没)、ドイツ・ケルン生まれのユダヤ系ドイツ人指揮者。 生地ケルンでヴァイオリンと指揮法を個人教授で学び、1919年にヴェルナー賞を得、その後指揮者としてデビューする。 ケルン歌劇場、プラハのドイツ劇場の指揮者を経て、1929年から33年迄フランクフルト歌劇場の音楽監督を務めるが、ナチス政権の樹立と共にその地位を追われる。 1936年にパレスチナへ移住、同地でパレスチナ交響楽団を結成、その指揮者を努める。 その後バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ボストン交響楽団の音楽監督等を経て、1952~76年迄ピッツバーグ交響楽団の指揮者を務め、この楽団をアメリカのメジャー・オーケストラの一つに育て上げている。 また、名バイオリニスト、ナタン・ミルシテインの伴奏者としても有名。

steinberg_hindemith_mathis.jpg
発売日: 1973/04
グラモフォン/ポリドール
LP-NO.: MG-2383
- MG-2383 Side A -
パウル・ヒンデミット 交響曲《画家マチス》

01. 天使の合奏:Ruhig bewegr
02. 埋葬   :sehr langsam
03. 聖アントニウスの誘惑:
    Sehr langsam frei im Zeitmass - sehr lebhaft

- MG-2383 Side A -
パウル・ヒンデミット 弦と金管のための演奏会用音楽 作品50

01. 第一部: Massig schnell, mir kraft, stets fliessend
02. 第二部: Lebhaft-Langsam-Im srsten Zeitmass

指 揮: ウィリアム・スタインバーグ
演 奏: ボストン交響楽団
録 音: 1971/10:ボストン・シンフォニー・ホール



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