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BGM: エッシェンバッハ / シューベルト ピアノ・ソナタ イ長調 D.959 [睡夢庵のBGM]

【BGM: エッシェンバッハ / シューベルト ピアノ・ソナタ イ長調 D.959 】

今日はクリストフ・エッシェンバッハのピアノでシューベルトの《ピアノ・ソナタ イ長調 D.959 (遺作)》。

このレコードはグラモフォン6大ピアニスト50選の1枚として発売されたもので輸入盤、しかも最初のシューベルトのピアノ・ソナタの録音です。
この曲は1828年9月、シューベルトが腸チフスで急死する1月余り前に書かれたピアノ・ソナタ3曲の内のひとつで、ベートーヴェンを意識して作曲されたものとされますが、非常に美しい旋律を持った曲です。 エッシェンバッハのピアノは美しく澄み渡った音を軽やかに紡ぎます。

『フランツ・シューベルト』(Franz Peter Schubert, 1797/01/31-1828/11/19没)、オーストリアのリヒテンタール生まれの作曲家。 各分野に名曲を残しているが、特に歌曲に優れた功績を残し、「歌曲の王」とも呼ばれる。 両親は12人の子をもうけたが、4人を残し皆早世している。 父親がアマチュア音楽家であり、6歳の頃から父親にヴァイオリンの初歩を教えられるが程なくして手に負えない神童振りを発揮、その指導がリヒテンタール教会の聖歌隊指揮者ミヒャエル・ホルツァーに託されることになる。 1808年寄宿制神学校(ウィーン楽友協会音楽院の前身)の奨学金を得、入学を果たす。 当時この学校は、アントニオ・サリエリの指導下にあり、宮廷礼拝堂コーラス隊養成の教室を持っていた。 シューベルトは17歳迄ここに席をおいていた。 楽器及び作曲の正統的教育を受けた訳ではないが、既にこの時期に作曲面でもその天才振りを示し始め、1810年5月には《4手ピアノのためのファンタジア(D.1)》を、1811年には3つの歌曲や《五重奏序曲(D.8)》、《弦楽四重奏曲(D.18)》、1812年には《キリエ(D.31)》、《サルヴェ・レジーナ(D.106)》等を残している。 シューベルトは一般的にはロマン派の範疇で語られるが、ウィーン古典派の影響を強く受けている。 1813年変声期を迎えたシューベルトは神学校を去り、父親の学校に教師として就職する。 この後サリエリから個人指導を受ける。 1816年からは友人の勧めで教職を辞め、作曲活動に専念する。 只、楽譜が売れるわけではなく、無収入の状態が続くも多くの友人の支えを受けて作曲を続けていた。 1818年になるとやっと自作の公演の機会を得、以後徐々に公演の機会は増えていくが、楽譜の出版に当たっては出版社から冷たくあしらわれ続ける。 1825年に至ってそれまでの多くの楽曲が出版される様になり困窮した生活から解放される事になるが、その僅か3年後31歳で腸チフスにより急逝する。

『クリストフ・エッシェンバッハ』(Christoph Eschenbach, 1940/02/20-)、ドイツ・シレジア地方のブレスラウ(現ポーランド・ヴロツワフ)生まれのピアニスト、指揮者。 幼少時に両親を亡くし孤児となるが、ドイツの篤志家エッシェンバッハ家の養子として引き取られ、音楽教育を施され、少年時代からピアノだけでなく、ヴァイオリンや指揮法なども学んだと言われる。 ハンブルグの音楽学校でエリーザ・ハンセン女史に師事、ピアノを学ぶ。 20代でシューマンのピアノ五重奏曲、ブラームスのクラリネット/ホルン三重奏曲、ベートーヴェンのピアノ四重奏曲など多くの室内楽曲の優れた録音を行っており、その資質を示すものと言える。 ジョージ・セル、カラヤン等の薫陶を受け、1970年代からは指揮者に転進しており、北ドイツ放送交響楽団の音楽監督として手腕をみせており、フィラデルフィア管弦楽団やパリ管弦楽団の音楽監督を兼任するなど指揮者としても活躍を見せている。
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発売日: 1974/03
ドイツグラモフォン
LP-No.: 2530 372
シューベルト ピアノ・ソナタ イ長調 D.959(遺作)
- 2530 372 Side A -
01. 第1楽章 Allegro
02. 第2楽章 Andantino

- 2530 372 Side A -
01. 第3楽章 Allegro Vivace
02. 第4楽章 Allegretto

ピアノ : クリストフ・エッシェンバッハ
録音日 : 1973/04/15-17
録音場所: ベルリン、ランクヴィッツ・スタジオ



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