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BGM: 朱里エイコ / 全曲集 [睡夢庵のBGM]

【BGM: 朱里エイコ / 全曲集 】

今日は朱里エイコのワーナーパイオニア時代の《全曲集》を。

本当はキング時代のもの(田辺エイ子時代)のものが美味しいのでしょうが、歌謡曲迄お金を廻せなかった時代ですのでこの辺を啄ばみだしたのは90年代後半以降。
67年のレナウンのCM曲「イエ・イエ」、パワフルで響きの良い声、皆さんもご記憶でしょう。 ほぼ同時期に同じタイプの歌手が出て来るものですね。 弘田三枝子と朱里エイコ・・・そうだ、梓みちよ、相良直美、九重佑三子、黛ジュン、奥村チヨ辺り1943~48年の生まれ、皆声量豊かで声の張り、艶もあり、巧かった・・・

『朱里エイコ』(田辺栄子, 1948/03/19-2004/07/31没)、東京都出身の歌手。 オペラ歌手の父と舞踏家/振付師の朱里みさをの子として生まれる。 1962年日本ビクターと契約、田辺エイ子の名で歌手として芸能界デビューを果たす。 1964年11月16才で単身渡米、ショー・オーディションに合格、2年間契約でラスベガス、ニューヨーク等に出演、ショー・ビジネスに身を投じる。 1966年帰国、日生劇場で凱旋初リサイタルを開催する。 翌年キングレコードと契約、国内での活動を再開するが、その実力ほどには評価されず、鳴かず飛ばずの状態が続く。 1969年再渡米、単独のエンターテナーとして活動を開始し、1970年1月のラスベガスのショーで大成功を収める等活躍を見せる。 1971年2月ワーナー・パイオニアと契約、「朱里エイコ」と改名、シングル「恋のライセンス」で再出発する。 同年10月に米国での最後のショーを開き、帰国する。 1972年1月に発売した「北国行きで」が大ヒット、デビュー10年目にしてやっと日本でも認知される事となり、同年の第23回NHK紅白歌合戦に出場を果たす。 これ以降も毎年の様に米国でのショー活動を行っている。 この時期頃以降は日本国内は実力を伴わないアイドル全盛期であり、日本のこの業界ヒット優先の姿勢もあり、急速にメディアへの露出機会が減る。 これが原因で精神的に追い込まれていたようで鬱病状態となり、1983年6月に3度目の失踪事件を起こす。 暫く入院状態が続き、その後復帰するも、又病気から来るドタキャン事件を起こす。 その後も米国・日本双方で活動を続けるが、ストレスからくる肝臓疾患を患い、長期入院を余儀なくされる。 2004年56歳の若さで心筋梗塞で死去。
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発売日: 1994/04/25
ワーナーパイオニア
CD-No.: WPC6-8021(32XL-125の再発)
朱里エイコ 全曲集
収録曲:
01. 愛は旅びと
02. Everytime愛
03. 北国行きで
04. 白い小鳩
05. 心の痛み
06. 恋の衝撃
07. ジェット最終便
08. めぐり逢い
09. AH SO
10. 別れの朝
11. ジョーのダイヤモンド
12. サムライ・ニッポン
13. オクラホマ・モーニング
14. ジュビレーション(歓喜)
15. シーズ・ア・レディー
16. 君は我が運命
17. デライラ
18. レット・ミー・トライ・アゲイン
19. 明日に架ける橋
20. マイ・ウェイ

彼女が歌った小林亜星作のレナウンCM曲「イエ・イエ」が入っているものがあればと探してみた処以下のものに入っている様です。
弘田三枝子が歌った「ワンサカ娘64’」、この2つは忘れられないものですね。

レイト60's 東京モッド・ガール・コレクション   イエ・イエ
Pヴァイン PCD-1481  1998/09/25
キング時代の全音源と未発表曲10曲の合計24曲入り
小林亜星 CM-SONGS ANTHOLOGY
テイチク  TECD-25482 2002/09/26


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