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日本の歴史教育偏向論の嘘と靖国参拝問題 [睡夢庵 日々徒然]

【日本の歴史教育偏向論の嘘と靖国参拝問題】

日本の歴史教科書と第二次世界大戦前後の記述がずっと国際社会で問題として取り上げられています。 日本国内外の批判的な人々に言わせると太平洋戦争に対する日本の責任及び占領地に齎した苦難や連合軍の戦闘中に行った犯罪行為に対する認識が欠けると叫びます。 特に中国、韓国はこれを政治問題として取り上げ、日本から譲歩を引き出そうとし続けています。

そこでは日本の教育当局が検定によって、学校が使用できる教科書を決定し教科書の内容や表現を改めさせている事が、日本の右傾化傾向を示し、自国の過去の歴史を次の世代に正しく教えていないといいます。 本当にそうでしょうか。 それは「国定の教科書」しかない、これらの国自身ではないでしょうか。

私に言わせれば「検定」はするのが当たり前の事で、可能な限り史実に忠実な物を作ろうとすれば、コミンテルンに魂まで売った連中に支配されてきた日教組や共産党、社会党等の歪んだ史観を紛れ込ませる訳には行かないからです。 それ故、この「検定」が絶対に必要なのです。

それはネット上のこれらの国のユーザーの発言を見ていれば明らかでしょう。 余りに歪曲された歴史観・知識に洗脳されていると思われませんか。

そして、現在の日、米、中、韓等の教科書の中で、最も史実を抑制的かつ忠実に伝えようとしているのは唯一日本の教科書だけだろうと思っています。(不要な卑下があるのが不満ですが)

私からすれば、極端な歴史歪曲、捏造をしているのが中華人民共和国や大韓民国の歴史教科書ですね。 自国の特に現代史はほぼ嘘の塊といっても過言ではないのでしょうか。 自分達民族は優れている、昔から「中華」として文化と歴史を誇っている、外国に較べれば遥かに長い歴史を持っている、そして自国の政治は優れていると謳いあげ、日本を諸悪の根源の様に(^^;)全ての付けをこちらに廻して自らの黒い歴史を覆い隠そうとしています。 しかし、ネット社会ですから、その綻びは必ず自国にとって悪い方に段々大きくなっていくでしょう。

多くの国家では「歴史教育=愛国教育」となっていますが、私はこれには反対です。 自らに都合が良い様に捏造した歴史を教える事は教育ではありません。 誤った史観や価値観を植えつける事になってしまいます。 将来的に見た場合、これが原因で対外的な軋轢を生むであろう事は明らかです。 そして、今それが現実の物となっています。
中国、韓国は日本の責任だと言いますが、果たしてそうでしょうか。 原因者は疑いも無く中国共産党であり、大韓民国政府にあります。 自らの不手際を糊塗する為に行った捏造が自身でも制御出来ない所迄来てしまったというのが実情でしょう。 只、夫々の政治の中枢にいる者迄史実の知らないのではないかと疑わざるを得ない所が少々恐ろしい点ですね。
少なくとも毛沢東、周恩来、鄧小平、趙紫陽、そして朴正煕辺りは自分達がしている事を知った上でしたから、未だ救いはありましたが・・・

国民が持つべき愛国心は、歴史教育で育む物ではなく、道徳教育の中で醸成していくものでしょう。 これだけ国際化した社会です。 国家や民族、そして宗教に拘った教育とは早く決別する必要があると思います。 さもなくば人間は何時まで経っても戦争を回避出来ないでしょう。 皆、人間教育の手順を間違えています。 孟子の言う“五徳”を備えて後、歴史の検討と自国愛の在り方を自ら形作るべきものです。 幸いな事に日本人の多くは過去から育まれた日本人固有の倫理観を幼児教育の過程から身に付けさせられていますので、海外の方から民度が高いと評されるのでしょう。 大事なのはバランス感覚であり、習うだけではなく自ら事実を探り、自らの史観、倫理観を育てる事でしょう。

現在の日本の歴史教育がどの様に評価すべきものかは、スタンフォード大学アジア太平洋研究センター(APARC)の『分断された記録と和解』プロジェクトの結果をご覧頂くと国内外からの批判がどれだけ的外れな物かお分かり頂けるかと思います。
報告書にアプローチしたい方はこちらを参照してください。 ISBN も記載されています。
但し、これらの評価・検証に携わった方々も「勝者によって作られた歴史」観から逃れられていない点が残念な処ですが。

これは、現在日本の教科書を問題視する国内の教育者は逆に教育者としての資格がないという表れではないでしょうか? なぜなら、彼らの歴史認識は間違っている事がここで証明されているからです。

50年前も現在も日本の教科書ほど「愛国教育」という側面を抑制したものはありません。 現在でも「(植民地国家の)復讐の為の裁判」だったとされる極東国際軍事裁判や、米国と国民党政府による捏造である「南京大虐殺」に関しても過去の評価をそのまま記載しています。 そして、大東亜戦争について、東南アジア諸国の建国者達やこの戦争の人類史への貢献を評価する方々の意見が紹介される事は稀です。

戦争自体は決してよい事ではありませんが、戦争が起こった時代背景とその裏にある事実はしっかり把握すべきです。 歴史は勝者の手で作られて行きますが、決して勝者が正しい訳ではないのです。

日本人は大東亜戦争の敗戦により卑屈になる必要などありません。 戦争が起こるには必ず双方に理由があり、往々にして戦争を仕掛けられたという者が背後で戦争へ引き摺り込んでいるのです。 アメリカは独立戦争や南部をメキシコから奪う際も太平洋戦争と同じ様な手口を使っていますが、この点はアメリカの方からも(いつも卑劣な手を使うとの)指摘が出ています。

大東亜戦争の大目的は「大東亜共栄圏」の設立、即ち東南アジアの植民地から解放であり、そして日本自体への欧米による経済封鎖包囲網を破り、アジアを人種的偏見を持つ欧米諸国から独立した経済圏にしようという乾坤一擲の勝負だったのです。

日本は敗れましたが、終戦後も多くの兵隊が現地に残り、夫々の植民地独立の為に血を流し、結果としてアジアにあった米・英・仏・蘭の植民地は全て民族の希望であった独立を勝ち得たのです。 ですから、決して卑屈になる必要等ないのです。 勝者の論理を無条件に受入れる必要等ありません、「靖国参拝」や「大東亜戦争」、「南京大虐殺」に関しても正しく史実を検証し、「世界の常識」を正し、「最も正しいであろう歴史」、正論を保持して行けば良いのです。

「靖国参拝」に異を唱えているのは中国と韓国だけです。 他のアジア諸国、アメリカ、欧州諸国、どこも異議を唱える所はありません。 なぜなら、その戦争の是非はともかく「国家の為に命を捧げた英霊に対する礼拝」を行うのはその国の代表者はもとより国民の義務、そして「恩讐を超えて敵方であった戦死者の英霊」にも祈りを手向けるというのが「世界の常識」です。 この常識が通じないのが、近世以前の中華王朝の宮廷御用学の朱子学を引き摺る中国人、朝鮮人だけなのです。


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