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従軍慰安婦問題 [睡夢庵 日々徒然]

【従軍慰安婦問題】

「従軍慰安婦」という言葉の起源は1973年<千田夏光(本名:千田貞晴)>の著書「従軍慰安婦」です。 この言葉は本書で千田貞晴が造語した物であり、第二次世界大戦中にはなかった言葉です。
これは軍隊について移動した売春婦を指す言葉として使われましたが、この解説を書いた<秦郁彦>の著書等がこの「従軍慰安婦」を強制連行した、「南京事件」を最大4万人の虐殺をした、といった現在に至る国家間の問題を事実の様に日本国民が誤認する原因の一つになってしまいます。

それに言われている人数もおかしいですね。 慰安婦の総数は約2万人、日本人が8千人前後、朝鮮人は4千人前後、残りは中国人、台湾人等、僅かに欧州人もいたといわれますが・・・が残る資料が示す、日本軍の周囲にいた慰安婦の総数です。

最近では強制連行し奴隷の様に扱ったかの様に喧伝されていますが、実際は朝鮮の何の技能も知識もない女性が手っ取り早くお金を稼ぐ方法として自発的にこの職業を選択していたと言った方が正しいでしょう。
当時の新聞にはその給与等を掲げた紹介所の広告が掲載されていました。 又、伝聞で「慰安婦」になった女達の高所得ぶりも聞いていたでしょう。 これが「慰安婦」募集に多くが応じた理由なのではないですか。

ただ、朝鮮では李氏朝鮮時代同様「誘拐」や「騙す」という手口があったのは事実の様ですが、これに軍や国家としての日本が関わっていたとするのはお門違いです。(ベトナムでは韓国軍が、朝鮮の米軍駐留地周辺では国家が運営に関わっていた事を示す公文書が最近見付かった様ですね)

事実、彼女たちの収入・貯金、朝鮮に送金した金額等が記録として残っていますが、それらを見ると吃驚する位の高給取り(^^)、それを取り持っているのも置屋(業者)の主人です。 日本軍の将官のウン倍というのが実情なのですから、集まらないはずはありません。

民間人が駐屯地周辺で営業をしていただけ・・・それが集まって町みたいになった。 人間集まれば、商店や・・・というのが実情。
これは日本や朝鮮、フィリピン等の米軍駐屯地周辺でも同じ事。 これは欧州、フランス、ドイツ、イタリアなどでも余り異なる事はありません。 男と女の性ですからね(^^)
まぁ、売春というのは女が手っ取り早く金を稼ぐ最も安直な手段ですから、この面での倫理観が確立していない国や人種においては推して知るべし・・・

私は日本に売春婦がいなかった等という事を言う積りはありません。 平安時代の白拍子(巫女兼音曲師)~吉原花魁~芸者・・・まぁこれらの本意は李氏朝鮮の妓生同様の芸能者ですが、高級娼婦とも言えるのが実態でしょう。 江戸期であれば、一般庶民階級用ならば飯盛り女等等・・・時代劇にも出てきますよね、日本手ぬぐいを頭に被り端を咥え、茣蓙を抱えた・・・えぇと~そうそう夜鷹(^^;) 現在の日本でも職業売春婦(非合法ですが)いるのも事実です。

只、日本には奴隷制はなく、女性の人権も認められた社会でしたので、本人の意思(身を持ち崩す)か家庭の経済的事情による身売りというのが殆どです。

しかし、朝鮮では李氏朝鮮時代から売春は一つの職業だったといっても過言ではありません。 それはこの時代に朝鮮を訪れた欧米人の著書にも明記されている事実です。
しかもこれは現在でも続いており、日本、米国、カナダ、欧州、フィリピン等で多くの韓国からの出稼ぎ売春婦が見かけられ、現地で問題を起こしている事にも現れています。 そして、その元締めにも多くの韓国人が絡んでいる事も報道を見ればあきらかな事です。

では何故なのか

《階級制度と女性の地位》

まず女性の地位ですが、儒教・性理学を信奉する李氏朝鮮では両班階級ですら、女は男に隷属するものとして扱われ、基本的に国語教育も受けさせられません。 これは【宮廷女官チャングムの誓い】をご覧になった方はご存知でしょう。 文定王后とチャングムが女の立場を嘆くシーンがありますからね。 【インス大妃】でもジョンの姑(後に大妃になる)が文盲である事を示すシーンが幾つもあります。 王妃となるレベルの階級ですら女はその様な扱いしか受けていないのです。

そして階級制度上、平民層、賤民層には両班層に対抗する権利は一切認められていませんので、或る意味両班層の男は平民層以下の女を手当たり次第・・・ですから、子供は誰の子かはっきりしないという状態(クロード・シャルル・ダレ『朝鮮教会史』 1874/フランス)といった笑えない記述さえ残っているのです。

こういう状況ですので、これらの層の気の利いた女性は妓生学校に入って芸技を学び、妓生として一本立ちすれば楽な生活が送れるのですから・・・という次第だった様です。 この辺りは【風の絵師】にその空気が流れています。

ですから李氏朝鮮末期の風俗として昼間から売春が堂々と行われていたという報告がある様に、売春を職業とする事にそれほどの抵抗はなかったはずですね。

それに引き換え、そもそも「名誉」を重んじる日本では女性の貞操観念も朝鮮とは全く違いますし、明治期から教育界・文学界では多くの女性が活躍している点も大きく違っています。 津田塾大学の元を開いた津田梅子、同志社設立を助けた新島八重、明治の紫式部言われた下田歌子、知的障害者福祉の創始者の一人と言われる石井筆子、明治の元勲大山巌を支えた大山捨松、陸奥宗光夫人(ワシントン社交界の華と呼ばれた)陸奥亮子、歌人・作家与謝野晶子、作家樋口一葉、日本画家守住周魚、女優川上貞奴等多士済々です。 「八重の桜」をご覧になった方は聞き覚えのある名前があるでしょう(^^) 明治初期でさえ女性の自立レベルに天と地程の落差があるのです。

《宦官と貢女》

貢女とは女性を朝貢品の一つとして献上することです。 高麗以前には確認されておらず、高麗時代から始まった様です。
そして又、宦官の供給地としても朝鮮は有名でその献上も強要されていました。

高麗時代の献上先は蒙古(元)、契丹、明です。 属国、それも武力的に屈服させられた国ですので、これ以外にも毎年多くの朝貢品を要求されています。

日本も卑弥呼の時代等は奴隷がいた様で、中国への朝貢品に名が挙がっています。 しかし奈良時代以降の朝貢品には奴婢は含まれた事は無い様ですので、すでにこの時点で双方には大きな開きがあった事は否めません。

貢女の数は時代によって千差万別ですが、宮廷女官といえば聞こえはよいですが、中国王朝の帝と王族、高級官僚の慰み物であった事に間違いないでしょう。
これを揃える為に官庁迄作っているほど・・・要求された人数が少ない時は両班の子女から選ばれた様ですが、数が多い場合は地方にまで見目の良い女を捜し求めてということでしょう。
中には、中国の帝に寵愛されて后となったものもある様ですね。
この辺りは韓国のドラマ【インス大妃】にも出て来ます。 主人公ジョンの姉達が貢女として明に送られ帝の愛妃となった為、父親に明から位を贈られた事で父親が蔑まれるシーン等があります。

こういう状況も売春への抵抗感を薄れさせる原因でもあったでしょう。

それに朝鮮は昔から中国等アジア圏への女の供給基地でもあった様です。 【イ・サン】や【トンイ】に出てきますが女の密輸、すなわち売春婦や下女用として女の輸出は既にこれらの時代にも行われているのです。 そしてこれは殆どの場合誘拐だった様です。 ですから、朝鮮人の慰安婦供給業者が誘拐・騙しといった手口を使ったとしても何の不思議もないのです。

まぁ、日本でも出島で中国人の相手をする遊女に対する「唐行きさん」等という言葉も残ってはいますが、彼女らは自ら若しくは家族の為に身売りしたもの達という違いがあります。(^^;)>
日本には女性を専門とする身売りの仲介業者を表わす「女衒」という言葉があります。 彼らは殆どの場合、親や親族に何がしかの金銭を渡し、納得の上で遊郭や芸者置屋、旅籠等に紹介しています。 日本では誘拐は厳罰に処せられていましたので、「口入屋」(手配師)や「女衒」がそんなリスクの高い犯罪に手を染める事は稀だったのです。

これらから類推出来る様に、「慰安婦強制連行」は《朝鮮人の社会性・民族性をそのまま日本人に映した結果の発想》だという事です。
「自分達がやるように日本人もやったに違いない」ですね。 朝鮮人のこの発想は「朝鮮の歴史」問題でも同じです。 自国の歴史を語る際に、自国の正史と周辺諸国の資料を照らし合わすという検証すらせず、平気で「歴史の捏造」を仕出かすのですから。 それを大学名誉教授の肩書きを持つ人間が臆面もなく・・・まぁ、李承晩による親日知識人を排斥や朝鮮戦争の結果、高等教育を担える人材が欠乏し、どこの馬の骨とも知れぬ人間を教授等に据えた様ですからこれも致し方ない結果かもしれません。


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