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日本の就学率・識字率 [睡夢庵 日々徒然]

【日本の就学率・識字率】

日本人の識字率の高さと向学心、新しい物への好奇心の旺盛さには、戦国期に日本に来た欧州人だけでなく、江戸末期通商交渉等の為に日本に来た欧米人も皆驚倒しています。

これは士族階級の藩校、私塾での教育、庶民階層では寺社を中心に自然発生的に生まれた寺子屋制度による教育が行き渡って居た事に因るでしょう。 また、日本では女性に対する差別もありませんでしたので、場所によっては女性の就学率の方が高い様な所もありました。 それに近代以前欧米を含め、多くの国家に存在した奴隷制度もありませんでした。 また、平安時代から存在した仮名混じり文による文学や日記の存在など豊富に書画・書籍があり、これらを田舎でも購入出来る事も、自分で筆写して読んでいた事も大きな要因といえるでしょう。 これらが開国時点でも欧米諸国を遥かに凌ぐ識字率を持っていた原因と言えるでしょう。

もう一点は表意文字である漢字と表音文字である平仮名の存在もこれに大きく貢献しているとみてよいでしょう。
平仮名は正倉院所蔵の奈良時代の公文書にその萌芽が既に現れています。 仏典等を読み解く際に行間に音や借字を備忘の為に書き込む際に漢字の一部や画数の少ない漢字を用いた事が起源の様です。 借字としての漢字を草書以上に崩して連綿とする事で意味の区切りを作り出し、長い文章を漢字かな混じり文で現す事を可能にした事が大きいでしょう。
漢字を「真名」呼ぶのでこの対として「仮名」と呼ばれたのでしょう。

仮名を用いた文学は、935年頃と言われる紀貫之の「土佐日記」が有名ですが、当時既に女性が日記を付けていた事が藤原道綱母の「蜻蛉日記」(954-974)、「和泉式部日記」(1003-1004)、「紫式部日記」(1008-1010)、菅原孝標の次女の「更級日記」(1020(13歳)-1059(52歳))と言った女流日記文学が残っている事でも明らかです。
当時は母系社会(妻訪婚)であり、特に上流社会は和歌による相問歌の遣り取りが恋愛・結婚の手続きの様な物でしたので、女性も字の読み書きが出来る必要がありました。 この風習は民衆層にも広がり、恋愛には和歌の遣り取りが必須のものになっていったようです。

1850年頃の江戸の就学率は 70-86% だったという記録が残っています。

因みに1837年頃のイギリスの工業都市ですら就学率は僅か 20-25%、フランスでは1794年に初等教育の授業料が無料となっていますが、10-16才の就学率は僅か 1.4% に過ぎなかったと言われます。

江戸末期の識字率については武士階級では男女ともほぼ 100% 読み書きが出来ていたと考えられます。
庶民層で見た場合でも男子 50% 前後、女子 20% 前後と推定されています。 特に江戸中心部に限定すれば 90% 前後であったと考えれています。 完全な文盲というのは既にこの時代から殆どいなかったといって良いとおもわれます。
また貨幣経済が発達しており、使用人になるにも金銭計算が欠かせませんでしたので、寺子屋でも和算を教えてました。 この為、特に計算・数学については水準の高さで外国人を驚かしたようです。
これでも分るとおり、日本は文明開化といわれる明治維新以前ですら、高い文化を誇る世界に冠たる文明国家だったのです。 これが欧州でジャポニズムを呼ぶ一つの理由でもあったでしょう。

☆ ペリー提督(アメリカ)
  「日本遠征記」 1853年来日
  ・ 読み書きが普及していて、見聞を得る事に熱心である
  ・ 田舎に迄本屋がある

☆ ラインホルト・ヴェルナー(エルベ号艦長/プロイセン)
  「航海記」 1860年来日
  ・ 子供の就学年齢は遅く7~8才であるが、その分早く
    習得しており、民衆の学校教育は中国よりも普及
  ・ 中国と違い男女共に学んでいる
  ・ 使用人である女が互いに文通している!!
  ・ 襤褸を纏った肉体労働者でも読み書きが出来る!

民衆教育において、観察した処では読み書きがまったく出来ない文盲は僅か 1% に過ぎなかった。
世界の他の何処の国が、自国についてこの様な事を主張出来ようか!! と驚嘆している。

☆ ニコライ(函館ロシア領事館主任司祭)
  「ロシア報知への寄稿文」 1861年来日
  ・ 国民の全階層に殆ど同程度に斑無く教育が行き渡っている
  ・ 孔子が学問知識の中心にある
    知識層では一字一句迄暗記している。
    最も身分の低い階層でさえかなりの知識がある。
  ・ 辺鄙な寒村の住民でも頼朝、義経、楠正成等の歴史上の
    人物を知らなかったり、方位が分らない人間はいない
  ・ 読み書きが出来、本を読む人間の数においては西欧諸国の
    どの国にも引けを取らない

☆ ハインリッヒ・シュリーマン(考古学者?=トロイア遺跡発掘)
  「シュリーマン旅行記 清国・日本」 1865年来日
  ・ 教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。
  ・ 支那を含めアジアの国々では女は皆完全な無知の中に
    放置されているのに対し、日本では男女共に漢字と仮名で
    読み書きが出来る。

補追)
1948年8月GHQの民間情報教育局(CIE)が「日本語のローマ字化」を実行するにあたり日本人がどの程度漢字の読み書きが出来るか調査を行っている。
調査地点は全国270箇所の市町村、15~64歳迄の1万7千人をランダムに選択して行った。
調査結果の平均点は78.3点、日本人は97.9%という当時では驚異的な識字率を誇る事が明らかとなった。
満点を取ったものがケアレスミスを含めると6.2%という好成績だった。
CIEはこの結果に驚き、日本の教育水準の高さに驚嘆し、「日本語のローマ字化」は見送られる事になった。
この圧倒的な教育水準と識字率が日本語という母国語の存続を守ったと言える。

補追)
大東亜戦争中、米国の将官が「日本の兵隊は1兵卒でも、複数の兵科をこなす器用さを持つだけでなく、小~中隊規模であれば我が国の尉官クラスにも負けぬ見事な指揮をする。」と驚いていたという記事を見た事があります。

補追)
<李朝朝鮮 日韓併合前の識字率>

李朝朝鮮のデータは調べた範囲では旅行記等に記述されたものしか見付かりませんでした。

☆ ウイリアム・E・グリフィス(1843-1928)
  『Corea the Hermit Nation』

「朝鮮の百姓は一般に文盲である。 農民階級の男の40%が中国語か朝鮮語を読めるのだろうが、女を勘定にいれると85%は読む事も書く事も出来ない。 但し、地域差は大きい。」

李氏朝鮮の身分階級別の人口比率は1858年で、両班 48.6%、常民 20.2%、奴婢 31.3% となっています。 グリフィスの値を常民・奴婢層と考え、両班層でも女子の教育が行われていなかった事と常民層からの流入をかんがえれば 50% を超える事はなかったと思われます。
という事は良く見積もっても 30% 程度ではなかったでしょうか。 漢字及びハングル双方との読み書きとなればこれを大幅に下回るでしょう。

<中国の識字率>

中国に関しても資料に行き着くことは出来ませんでした。 中華人民共和国が成立した1949年頃でも20%程度だったと言う文書はありましたが、定かではありません。


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