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日本人の民族性について [睡夢庵 日々徒然]

【日本人の民族性について】

最近Youtubeやブログを見ていますと、「民度」という言葉を良く目にします。
日本人の民度が高くそれに比べ、中国人や朝鮮人の民度はといった具合です。

どうも「民度」という言葉は国民の人間としての素養、民族性を表わすものとして使われている様です。

日本人の現在の民族性(素養)は何時頃形作られたものか、一寸知りたくなって来ました。

そこで、日本の国民性を知るには第三者の評価を見なければならない訳ですから、まずは中国の史書から拾ってみる事にしましょう。

《漢書 地理志》

中国の史書に倭国が現れるのはこれが最初です。 前漢武帝が紀元前108年衛氏朝鮮の故地に設置した漢四郡の一つである楽浪郡から海を隔てた先に倭人が住んでいるという記述があります。

《後漢書 東夷伝》

倭奴国の王が後漢の都洛陽まで使者を送り、朝貢した事が記述されています。 この時金印を授けられておりこれが福岡県の志賀島で江戸時代に発掘された「漢倭奴国王」という金印だとされます。 これが国という扱いで現れた最初です。

《魏志倭人伝》

これは中国の歴史書「三国志」の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称であり独立したものではありません。
著者は陳寿、280-297年の間に記述されたものとされており、その死後中国では正史として重んじられています。

この中で倭国の様子について

・ 桑と蚕を育て糸を紡ぎ上質の絹織物を作る
・ その風習は淫らではない
・ 寝床は父母兄弟は別に取る
・ 骨を焼き、占いをする
・ 集会での振舞いでは父子、男女の区別はない
・ 皆長命である 野菜を多く食す
・ 女は慎み深く嫉妬しない
・ 一夫多妻制である
・ 盗みはなく、訴訟も少ない
・ 法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、
  重い者は一族を根絶やしにする
・ 尊卑の序列があり、上の者の言いつけは良く守られる

これでみる様に既に一部手工業が成立し、男女の差がなく、法が厳格に行われる清廉で秩序のある社会だった事が判ります。

この時代から中国では倭国の織物はその光沢から珍重されていた様で、朝貢品にも上がっています。

これ以降、晋書、宋書、南斉書、梁書、北史、南史、随書、旧唐書等に倭国に関する朝貢の記述があります。

「宋書」には倭国の王“武”が朝貢しており、朝鮮半島の支配を認め「倭王」として叙爵した事が記載されています。

「隋書 東夷伝」では百済・新羅が日本を大国として敬していた事や聖徳太子が仏法僧を隋へ留学させた事などが記載されています。
これにも魏志倭人伝同様、法は厳しく、人は皆温和であり、盗賊も少なく、訴訟も稀と書かれています。

「旧唐書」には日本列島に関し、「倭国伝」と「日本国伝」の2つがあり、元々小国であった日本国が倭国を併呑したと記述しています。
只、これは702年の遣唐使が国号変更の理由を説明しなかった為である可能性もある様です。 これは「倭国(天智天皇政権)」が倒され、「日本国(天武政権)」が成立した為とする論もあります。 この中には盟神探湯(くがたち)等正邪の判別法等の記述も残っています。

古代中国の史書に見る限りにおいても既に

・ 父子、男女の扱いに差がない事
・ 性は温和であること
・ 盗みや訴訟が稀である事

など、清廉な資質であった事が読み取れます。

では、次に中世(戦国期)に日本へ来たポルトガル人のイエズス会宣教師の書簡・報告書から拾って見ましょう。

《フランシスコ・ザビエルの書簡》 1549年キリスト教布教の為に来日

☆ この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、
  日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられない
  でしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
  驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。
  大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、
  貧しいことを不名誉とは思っていません。
☆ 住民の大部分は読み書きができる。 そのため彼らはオラシヨやデウスの
  ことを速やかに学ぶことができ、我らにとって頗る好都合である。
  日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて少ない。 それは死罪に
  処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。
  日本人はこのように非常に善良で、人づきがよく、知識慾に富む国民である。
☆ 好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問は限りがありません。
  また彼らの質問に私たちが答えたことを彼らは互いに質問しあったり、
  話したりしあって尽きることがありません。
☆ 日本人の質問に答えられるように十分な知識を持つ神父を派遣するように

キリスト教の聖書には突っ込み所が山ほどありますから、ザビエルは日本人にこの教義上の矛盾点を突かれほとほと困ったのでしょうね(^^)
そして、知識を共有し、それを突き詰め納得できる解を求めようとする姿勢も垣間見えます。

《ヴァリニャーノ 『日本巡察記』》 イエズス会の巡察師

インドのゴアを中心に活動していたイエズス会のアジア諸国への布教状況の視察とそれぞれの言語・国情調査を担当
当時の巡察師はポルトガルの侵略先を調査する高等スパイの様なものでしたからその観察眼は確かだったでしょう。
それは日本語の長所に気付いている点に現れていると思います。 確かに慧眼、すごいの一言ですね。

☆ 人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。 一般庶民や労働者でも
  その社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の
  使用人のように見受けられる。 この点においては、東洋の他の諸民族
  のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。
☆ 国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律を
  すべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、
  かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。
☆ 下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力と
  いうことがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、
  仕事に熟達している。
☆ 彼等のことごとくは、ある一つの言語を話すが、これは知られている
  諸言語の中でもっとも優秀で、もっとも優雅、かつ語彙が豊富なものである。
  その理由は、我等のラテン語よりも語彙が豊富で、思想をよく表現する
  言語だからである。
☆ 全世界でもっとも面目と名誉を重んずる国民であると思われる
☆ 感情を表すことにははなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、
  憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である
☆ 罵倒、呪詛、悪口、非難、侮辱の言葉がなく、また戦争、借用者、海賊の
  名目をもってなされる場合を除けば、盗みは行なわれず、(窃盗)行為は
  ひどく憎悪され、厳罰に処せられる
☆ 幼少の時から、これらあらゆる苦しみを甘受するよう習慣づけて育てられる
☆ 家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は
  精巧である
★ 結論的に言って日本人が、優雅で礼儀正しく秀でた天性と理解力を有し、
  以上の点で我等を凌ぐほど優秀であることは否定出来ない。

これは欧州人の優秀さを信じてきた彼等からすれば格別な賛辞と思わねばなりますまい。

彼は日本人の悪い点として以下の5点を挙げていますが、多くはキリスト教的視点からのものであり、その他も欧州でも時代によっては余り変わりはない項目ですね。

☆ 衆道がおおぴらに行われている
☆ 主君に対して忠誠心を欠く
☆ 彼等は偽りの教義の中で生活し、欺瞞と虚構に満ちており、嘘を言ったり
  陰険に偽り装うことを怪しまないことである(自然信仰/神道/仏教等)
☆ はなはだ残忍に、軽々しく人間を殺すことである
☆ 飲酒と、祝祭、饗宴に耽溺することである

これで明らかな様に現在の日本人の美点とされる処を16世紀の日本人が既に備えていた訳です。

最後に、江戸末期から明治初期に日本を訪れたイザベラ・バード『日本奥地紀行』の評価を拾ってみましょう。
彼女は1878年6月~9月にかけて通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉と共に東京を基点に日光から新潟へ抜け、日本海側を通って北海道迄旅をしています。 その後、10月から神戸、京都、伊勢、大阪を旅し、この時の体験を1880年に「Unbeaten Tracks in Japan」2巻(『日本奥地紀行』)に纏めて発表しています。 その他熊本、長崎にも足を伸ばしています。
その他、1894年から1897年にかけて4度に渡り末期李朝朝鮮を訪れ、旅行記「Korea and Her Neighbours」(『朝鮮紀行』)を発表しています。 また、彼女は清国も旅している為、『朝鮮紀行』では日中韓3国の比較も行われています。

☆ 世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、
  まったく安全に旅行できる国はないと信じている
☆ 彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を
  犯すようなことは全くない。
☆ ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、
  真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、
  失礼なことをされることはない。
☆ 子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにも
  おとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、
  人に大きな好感をいだかせる。
☆ 私はどこでも見られる人びとの親切さについて話したい。
☆ 世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に
  比較できるようなものはあるまいと思われる。
☆ 草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。
☆ 新潟は美しいほどに清潔なので、日光のときと同じように、
  このよく掃き清められた街路を泥靴で歩くのは気がひける
  ほどである。
☆ 基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でも
  なければ清純ではないと判断せざるを得ない。

只、彼女は英国上流階級出のクリスチャンなので、彼らの価値観、倫理観を当て嵌めて評価している為、結構辛辣な評価をしている部分もあります。 それと日本人の外見に関してはまぁケチョンケチョンに貶しています(^^)
それにこの中には本州人にはアイヌ人に対する強烈な差別意識があった事を示す記述もあります。 しかし、彼女はアイヌ人が非常に気にいっていた様です。

補追)「Unbeaten Tracks in Japan」の英文 HTML 等を入手出来るサイトがありましたので追加しておきます。
   URL: http://www.gutenberg.org/ebooks/2184
   URL: https://archive.org/details/unbeatentracksin02184gut

如何でしょうか。 今ネット上で日本人の長所とされる殆どは既に倭国の時代から民族の特性であった様です。 儒教や武士階級の成立などを経てより洗練はされたでしょうが、既に3世紀でも現代と殆ど同様な評価を得ていた事には驚きました。

中国、韓国のコメントにどうすれば日本の民度に追いつけるのかという記述が見えますが、これから察するに至難の業なのかもしれません。

しかし、幼児教育から儒教にいう“五徳”・“四端”を身に付けさせ、同時に親も学んでゆけばそれなりの変化は現れる事だと思います。
中国人にせよ、韓国人にせよその知力という面では決して日本人に引けを取るものではありません。 寧ろ優れているという評価すらあります。 違いがあるとすればそれは好奇心、向上心、探究心、責任感の強さでしょう。 それに面目に拘るのではなく、恥の精神も。 これ等は余程意識しなければ・・・両国民共にまぁこの程度でよかろうといった処が目に付きますから。

現状のネット上の発言やメディア、政府関係者の発言を見る限り、特に韓国人にはこの面と倫理性の低さで差がありますね。

もう一つは国字の差もあるでしょう。 中国は漢字を簡略化する方向で、韓国はハングルに一本化にする事で識字率・教育の向上を図りましたが、これは間違った選択だったと思います。
なぜなら、この教育を受けた者は自国の過去の書籍や史書を読み、これを理解することすら出来なくなるからです。 既にこの悪影響が特に韓国のネット上で顕在化して来た様です。 自国の史書や過去の書籍等を検証していれば幾らなんでもあんな馬鹿な主張はしないでしょうから。

ヴァリニャーノも言っていますが、日本語は漢字(表意文字)と平仮名/カタカナ(表音文字)を組み合わせる事で、より多くの語彙を獲得する事に成功し、これが学問・文化の深みを生む基になっているのだと思います。 明治維新以降西洋文化を取り入れる際には先人は苦労して多くの新しい造語を生み出せたのも日本語という言語の表現の自由度にあった事は紛れもない事実です。 そして現代でも日本発の造語が生まれています。 これは現代の中国語に日本語から取り入れた熟語が数多く見られる事でも明らかです。 そしてハングルだけにした韓国では同音異義語の取り違えによる問題が頻発し、学生の理解力が低下の傾向にある事を見ても、日本語の優位性は疑うべくもありません。

漢字は元々中国起源の文字ですが、中国ではこれだけを頼り発展させる事が出来なかった為、唐以降中国文明の発展は止まってしまったのでしょう。 日本では既に十世紀には漢字を基にした仮名を生み出し、言語としての表現の幅と理解し易さという識字率・文盲率を向上させ、文化を高める手段を手にしていたのです。

日本人はこれに誇りを持ってよいと思いますが、けっして驕りとならぬ様自戒しましょう。

タグ:民度

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