BGM: ロストロポーヴィッチ / ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 [睡夢庵のBGM]
【BGM: ロストロポーヴィッチ / ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 】
今日はロストロポーヴィッチのチェロ、ターリッヒ/チェコ・フィルで《ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104》。
これは1974年1月に発売された『スプラフォン歴史的名盤選』の4。 スプラフォン原盤のモノラルですのでステレオの様には広がりませんが、音がしっかり拾われており、チェロ、オケ共に艶やかに響きます。 この曲は好きな曲ですので、74年の購入時点で幾つも試聴しましたが、選んだのはロストロポーヴィッチはこのスプラフォン盤、あとはデュ・プレ/バレンボイム(エンジェル ベスト 100)、シュタルケル/ドラティ(フォンタナ・グロリア・シリーズ)の3枚。 シュタルケルのものはステレオなのですが、フォンタナらしく録音が・・・ですが、これはシュタルケルの肩肘張らない演奏と同じハンガリー出身の為せる技か、他とは異なる渋さがあります。 デュ・プレのものは対極のとても女性とは思えないダイナミックでセンシティブな演奏ですが、夫婦合作バレンボイムが良く支えています。 そしてターリッヒのものはチェロの響き、オケとのバランスそしてオケのカラーが私のイメージに一番合っています。 カラヤン盤が推奨盤になっているケースが多いですが、このオケのカラーとカラヤンのタクトは私の中のドヴォルザークのイメージに対して煌びやかに過ぎると感じます。
ロストロポーヴィッチは私の知る範囲では以下の7種の録音を残している様です。
このレコードのライナーによると1958年時点で3種あり、その中でターリッヒ/スプラフォン盤が日本で発売されていないことに非常に残念な表情を浮かべたとの記述がありますので、この時点では彼自身、この録音が最良だったのでしょう。 そこにはBBC交響楽団との新しい録音との記述があるのですが、この存在が?(モスクワ放送交響楽団の聞き違い?)
『ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ』(Mustislav Leopol'dovich Rostropovich:1927/03/27-2007/04/27没)、旧ソビエト連邦アゼルバイジャン・バクー(現アゼルバイジャン)生まれのチェリスト、ピアニスト、指揮者。 20世紀後半を代表するチェリストの巨匠。 チェリストの父とピアニストの母より音楽の手ほどきを受け、4歳でピアノ、7歳でチェロを始める。 1943年モスクワ音楽院に入学、チェロと作曲を学ぶ。 1945年全ソビエト音楽コンクールで金賞受賞。 1949年ブタペスト国際コンクール、1950年プラハ国際チェロ・コンクール等で優勝。 1956~74年の間モスクワ音楽院教授を務める。 1961年には指揮者としてもデビュー。 1970年ソルジェニーツィンを擁護した為反体制派と見做され、以降国内演奏活動を停止され、海外での出演契約も破棄される。 1974年出国、そのまま亡命し、1977年アメリカに渡りワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督兼首席常任指揮者となる。 2007年モスクワにて死去。
『ヴァーツラフ・ターリヒ』(1883/05/28-1961/03/16没)、チェコ・モラヴィアのクロムニェジーシュ生まれの指揮者。 ヴァイオリニストに父親の下で幼少からヴァイオリンを学ぶ。 1897年プラハ音楽院に入学、ヴァイオリンを学ぶ。 1903年卒業すると、アルトゥール・ニキッシュの推薦を得てベルリン・フィルハーモニーのコン・マスに就任。 しかし、ニキッシュの指揮に影響を受け、その地位を辞し指揮者を目指す。 1904年オデッサ市立管弦楽団のヴァイオリニストを務めながら指揮を学び、同年このオケを指揮し指揮者デビューを果たす。 以降指揮に専念、1905-7年リュブリヤーナ・フィル、1908年からはスロヴェニア・フィルの常任指揮者を務めながら、ライプチヒ・ゲヴァントハウスの首席指揮者であったニキッシュに指揮法・音楽理論を学ぶ。 1918年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の次席指揮者になり、翌年首席指揮者に就任、その傍らでプラハ音楽院でも教鞭を執っている。 その後多くの職務を兼ねるようになり、1941年チェコ・フィルの席をラファエル・クーベリックに譲った。 第二次大戦後はチェコ室内管弦楽団を創設すると共にスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 1961年チェコ・ベロウンで死去。 彼の指導の下でカレル・アンチェル、ヴァーツラフ・ノイマン、チャールズ・マッケラス等の優れた指揮者が誕生しており、指導者としても優れた。 地方都市オーケストラに過ぎなかったチェコ・フィルを国際的オーケストラに育てたのはターリヒの功績であり、彼の指揮するチェコ・フィルが演奏するドヴォルザークはスラブの雰囲気を醸しながら、清澄な気品に溢れている。 彼の指揮するチェコ・フィルのドヴォルザークを聴いたムラヴィンスキーはその素晴らしさに感嘆し、以降ドヴォルザークを指揮しなかったという逸話?があるそうな。
今日はロストロポーヴィッチのチェロ、ターリッヒ/チェコ・フィルで《ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104》。
これは1974年1月に発売された『スプラフォン歴史的名盤選』の4。 スプラフォン原盤のモノラルですのでステレオの様には広がりませんが、音がしっかり拾われており、チェロ、オケ共に艶やかに響きます。 この曲は好きな曲ですので、74年の購入時点で幾つも試聴しましたが、選んだのはロストロポーヴィッチはこのスプラフォン盤、あとはデュ・プレ/バレンボイム(エンジェル ベスト 100)、シュタルケル/ドラティ(フォンタナ・グロリア・シリーズ)の3枚。 シュタルケルのものはステレオなのですが、フォンタナらしく録音が・・・ですが、これはシュタルケルの肩肘張らない演奏と同じハンガリー出身の為せる技か、他とは異なる渋さがあります。 デュ・プレのものは対極のとても女性とは思えないダイナミックでセンシティブな演奏ですが、夫婦合作バレンボイムが良く支えています。 そしてターリッヒのものはチェロの響き、オケとのバランスそしてオケのカラーが私のイメージに一番合っています。 カラヤン盤が推奨盤になっているケースが多いですが、このオケのカラーとカラヤンのタクトは私の中のドヴォルザークのイメージに対して煌びやかに過ぎると感じます。
ロストロポーヴィッチは私の知る範囲では以下の7種の録音を残している様です。
このレコードのライナーによると1958年時点で3種あり、その中でターリッヒ/スプラフォン盤が日本で発売されていないことに非常に残念な表情を浮かべたとの記述がありますので、この時点では彼自身、この録音が最良だったのでしょう。 そこにはBBC交響楽団との新しい録音との記述があるのですが、この存在が?(モスクワ放送交響楽団の聞き違い?)
録音年次 | 指揮者 | オーケストラ | 最新?CD |
1952 | ターリッヒ | チェコ・フィル | COCQ-84374 |
1957 | ボールド | ロイヤル・フィル | TOCE-9429 |
1957 | ハイキン | モスクワ放送交響楽団 | VICC-2028 |
1968 | スヴェトラーノフ | ソビエト国立交響楽団 | BBCL-4110 |
1968 | カラヤン | ベルリン・フィル | UCCG-9713 |
1977 | ジュリーニ | ロンドン・フィル | TOCE-91089 |
1985 | 小沢征爾 | ボストン交響楽団 | R32E-1036 |
『ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ』(Mustislav Leopol'dovich Rostropovich:1927/03/27-2007/04/27没)、旧ソビエト連邦アゼルバイジャン・バクー(現アゼルバイジャン)生まれのチェリスト、ピアニスト、指揮者。 20世紀後半を代表するチェリストの巨匠。 チェリストの父とピアニストの母より音楽の手ほどきを受け、4歳でピアノ、7歳でチェロを始める。 1943年モスクワ音楽院に入学、チェロと作曲を学ぶ。 1945年全ソビエト音楽コンクールで金賞受賞。 1949年ブタペスト国際コンクール、1950年プラハ国際チェロ・コンクール等で優勝。 1956~74年の間モスクワ音楽院教授を務める。 1961年には指揮者としてもデビュー。 1970年ソルジェニーツィンを擁護した為反体制派と見做され、以降国内演奏活動を停止され、海外での出演契約も破棄される。 1974年出国、そのまま亡命し、1977年アメリカに渡りワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督兼首席常任指揮者となる。 2007年モスクワにて死去。
『ヴァーツラフ・ターリヒ』(1883/05/28-1961/03/16没)、チェコ・モラヴィアのクロムニェジーシュ生まれの指揮者。 ヴァイオリニストに父親の下で幼少からヴァイオリンを学ぶ。 1897年プラハ音楽院に入学、ヴァイオリンを学ぶ。 1903年卒業すると、アルトゥール・ニキッシュの推薦を得てベルリン・フィルハーモニーのコン・マスに就任。 しかし、ニキッシュの指揮に影響を受け、その地位を辞し指揮者を目指す。 1904年オデッサ市立管弦楽団のヴァイオリニストを務めながら指揮を学び、同年このオケを指揮し指揮者デビューを果たす。 以降指揮に専念、1905-7年リュブリヤーナ・フィル、1908年からはスロヴェニア・フィルの常任指揮者を務めながら、ライプチヒ・ゲヴァントハウスの首席指揮者であったニキッシュに指揮法・音楽理論を学ぶ。 1918年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の次席指揮者になり、翌年首席指揮者に就任、その傍らでプラハ音楽院でも教鞭を執っている。 その後多くの職務を兼ねるようになり、1941年チェコ・フィルの席をラファエル・クーベリックに譲った。 第二次大戦後はチェコ室内管弦楽団を創設すると共にスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 1961年チェコ・ベロウンで死去。 彼の指導の下でカレル・アンチェル、ヴァーツラフ・ノイマン、チャールズ・マッケラス等の優れた指揮者が誕生しており、指導者としても優れた。 地方都市オーケストラに過ぎなかったチェコ・フィルを国際的オーケストラに育てたのはターリヒの功績であり、彼の指揮するチェコ・フィルが演奏するドヴォルザークはスラブの雰囲気を醸しながら、清澄な気品に溢れている。 彼の指揮するチェコ・フィルのドヴォルザークを聴いたムラヴィンスキーはその素晴らしさに感嘆し、以降ドヴォルザークを指揮しなかったという逸話?があるそうな。
発売日: 1974/01 SUPRAPHON/日本コロムビア LP-No.: REM-1614-S | |
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 - REM-1614-S Side 1 01. 第一楽章 Allegro - REM-1614-S Side 2 01. 第二楽章 Adagio ma non troppo 02. 第三楽章 Finale, Allegro moderato チェロ: ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ 指 揮: ヴァーツラフ・ターリッヒ 演 奏: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 |
発売日: 1974 fontana/日本フォノグラム LP-No.: FG-216 |
------------------------------------------ ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 - FG-216 Side 1 - 01. 第一楽章 Allegro 02. 第二楽章 Adagio ma non troppo - FG-216 Side 2 - 01. 第三楽章 Finale, Allegro moderato ブルッフ コル・ニドライ 作品47 チェロ: ヤーノシュ・シュタルケル 指 揮: アンタール・ドラティ 演 奏: ロンドン交響楽団 |
発売日: 1974? Angel/東芝EMI LP-No.: EAA-107 |
------------------------------------------ ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 - EAA-107 Side 1 - 01. 第一楽章 Allegro 02. 第二楽章 Adagio ma non troppo - EAA-107 Side 2 - 01. 第三楽章 Finale, Allegro moderato 森の静けさ 作品68の5 チェロ: ジャクリーヌ・デュ・プレ 指 揮: ダニエル・バレンボイム 演 奏: シカゴ交響楽団 |